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2009年05月09日

塩狩峠 三浦 綾子

氷点は原罪がテーマだったと思うが、
本書はイエス様の教え、がテーマか。
キリスト教の教えについて
あらためて考えさせられた。


祖母の急死、母の再来、父の急死。
信夫はめまぐるしい人生の変化を、受け入れることをやめなかった。煮え切らない感情を一つ一つ深く長く払拭し、それは彼をクリスチャンへと導いた。

人の死がこれほどまでにあっけなくそっけないものだと感じたことはなかった。磔になったキリストの死の何倍も短い時間に発生した信夫の救いの決断、死。キリストそのものが見えた気がした。

しかし残された者はそうは行かない。

数時間後に夫となるはずだった彼の救済死を、クリスチャンの彼女こそ誇りだと受け入れる。ふじ子の現実の愛を失った心は信仰に支えられ、浄化されての追悼旅だと思った。

しかし彼女はその場で泣き崩れた。


神は愛なり。

この言葉を思い返せば、
瞬間、罪人としての涙だったのだろうか。言葉に屈しての・・・ 

しかしきっと本当の意味は、彼女の魂の時間までかけて鮮烈に刻まれるのだろう。信夫がそうしてきたように。彼女を再び、癒しながら。



信仰心がこれほどまでに気高いものだと思い知らされた。
現代の事件に見るように、無宗教にさまよう虚無心に入ってくる信仰対象はきっと、どんなものでも大きな魅力を秘めているのだろう。時に貫き実行し、罪人に導くまでの。しかしそこには大方、利益が発生する。

無垢な救済の死は新鮮だった。真っ白にみずみずしく、心を潤した。
今も尚信仰を貫くクリスチャンの方々の源を見た気がした。

一粒の麦、
地に落ちて死なずば、
唯一つにて在らん、
もし死なば、
多くの果を結ぶべし。
(新訳聖書 ヨハネ伝 第12章 24節)



塩狩峠







タグ:三浦 綾子
posted by クロルデン at 02:30 | TrackBack(1) | 三浦 綾子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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