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2009年07月10日

日蝕 平野 啓一郎

日蝕
 まず、時代考証の質の高さに注目しないといけない。
 物語は「千四百八十二年の初夏」から始まっている。この時期はすでにルネサンス全盛であって、中世スコラ哲学や、トマスのアリストテレス的なキリスト教思想といった正統が衰退している時期だ。中世には立場の悪かったプラトン主義が流行するのもこのころで、主人公がリヨン・フィレンツェへと旅立つ動機となる「ヘルメス選集」の著者であるフィチーノは、プラトン・アカデミアという学堂の初代学頭である。物語でもこのあたりのことが語られて、思想的な不安がこの時代に織り込まれていることを示唆している。
 作者がこの時代を取り上げたのは、作者の意図を考えれば必然だが、しっかりとそこに目をつけたのは立派だと思う。そして、遠いヨーロッパの、しかも五百年以上前の時代を、よくここまで一人の日本人が調べ上げたものだと感心する。物語は主人公である一神学者の独白を中心にして進んで行くので視点の制約はあるだろうが、その限りにおいては、かなり正しく時代の雰囲気がつかめるような気がする。
 この小説は、文体のことについていろいろといわれるけれども、この時代という観点とあわせて考えると、まったく的を射たもののように思われる。西洋中世の一時期を、現代の日本語で表すとしたら、こういった硬質な、漢字を異常なほどに多く配した擬古文調の文章を選択することは、必然ではなくとも自然なように思えるし、実際読んでいて違和感がない。どうやら作者のほかの作品を見ても、この文体にこだわりはないみたいだから、これっきりなんだろうと思う。にしても、これだけの複雑な慣れない文体を、始めから終わりまで二百ページ近く統一性を保って書き続けることは、よほどの緊張感を持ってしないとできないことだろうし、その点からしても、作者の文章力の高さと作品にたいする集中力をおもわずにいられない。  
 ストーリーにおいては、聖職者の頑固さや退廃、民衆の不安と熱狂が描かれつつ、最後には両性具有者が磔に掛けられる。福音書にあるキリストの磔刑までの物語りになぞらえたものだとわかるが(実際に主人公もそういっている)、最後の場面では、いわばそれを裏返しにしたような世界が描き出されている。キリスト教や、その教義への懐疑だろうか。そうなら、新しさはないかもしれない。それこそ、映画やら、劇やらでも演じられつくした題材のようにも思う。だけど、よい小説を読んだ後にある、ある種の感慨は残る。
個人的には、現代への関連云々よりも、純粋に小説としての質の高さを感じた本だった。

現代が喪失した「聖性」に文学はどこまで肉薄できるのか。舞台は異端信仰の嵐が吹き荒れる十五世紀末フランス。賢者の石の創生を目指す錬金術師との出会いが、神学僧を異界に導く。洞窟に潜む両性具有者、魔女焚刑の只中に生じた秘蹟、めくるめく霊肉一致の瞬間。華麗な文体と壮大な文学的探求で「三島由紀夫の再来」と評され、芥川賞を史上最年少で獲得した記念碑的デビュー作品。(「BOOK」データベースより)
友人と一緒に「錬金術」に関する研究をしていた時に出逢った本。
まず驚かされるのはその文体と筆力。古典的な文体でありながら非常に読み易く、どんどん引き込まれる。このとてつもなく美しい文章力と内容の深淵さに、日本文学界の救世主と呼ぶ声さえ上がっている。
正直、ただものじゃない。
20代の若者が大学在学中に書いたなんて信じられない。(著者は京大法学部卒)
内容は、ドミニコ会修道士である主人公が異端である錬金術をその教義に取り込み教化することを目的に旅に出るというもの。
私たちの研究では、ローマカトリック正教会vs錬金術+その他異端派という本作の構図は、前者が後者に対して「我々の神学の下に吸収し、従属せしめる」ことを目的とした、ある意味で暴力的なまでの教化を目論んでいることがその背景に見て取れるという意味合いに於いて近代民主主義に照らし合わせるところのマジョリティーvsマイノリティーの構図として表象しているということを挙げる。
ローマカトリック正教会が異端審問によって錬金術のシンボルとも言うべき両性具有者を処刑するという抑圧的な構図もまたその横暴さを明らかにしている。
「錬金術」は斯様な作品のテーマとしてはありきたりであるという批判があるが、私たちはそうは考えない。
嘗て思想、科学双方を包括する哲学的方法論として秘儀的に世界各地に存在していた錬金術が、近代に於いては思想と方法論の二局面へと乖離させられ、前者は哲学へ、後者は近代科学へと発展することで事実上古の書物の中に閉じ込められるだけの存在となってしまっているという事実が、錬金術の特異性と非日常性を特に近代に於いて示す有効な手段となるからであり、また解説に記されているように、「作者が本作で示した企てとは、すでに死んでいるものと積極的に戯れることで、その反復的戯れを通して再生を演出することである」からである。
そして作者が再生を企てる「特異でありすでに死んでいるもの」とは先述の作品構造分析にも挙げたように、近代民主主義に於けるマイノリティーであり、またその死した原因こそがマジョリティーの教化による抑圧に他ならず、それを文学に呼び起こすことでマイノリティーの再生を図ろうとすることこそが作者の意図するところであると言うことができるのではないだろうか。
本作に於いて「錬金術」は、異なるシンボルによって表象することで処々の問題を想起させるに貢献するという「異化効果」をもたらしているのである。
従って、作品構造分析から近代民主主義という私たちの身近なテーマを導き出し、その問題点を投げかける手段、それも極めて印象的で象徴的な手段となり得る対象が「錬金術」であるという観点から捉える時、この作品は社会色の濃いものであると同時に、現代社会の抱える諸問題すらも包括するという意味に於いて決して無視することのできない構図を取っているのである。



日蝕 (新潮文庫)


posted by クロルデン at 07:13 | TrackBack(0) | 平野啓一郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月10日

滴り落ちる時計たちの波紋 平野 啓一郎

これ書いた人、絶対頭の中面白い人だなぁと。
「最後の変身」なんて完全に一つの人格として成立して
しまってます。迫力がありすぎてついちょっと笑っちゃう箇所も
ありましたが、このまんまの人、その気で探せば現実に
ほんとにいそうだなという成りきりっぷりに、御本人が
普段どういうこと考えてる方なのか、とても興味持ちました。
(犯罪での自己実現というのは自説を盛り込んだとみて
いいのかな?)

物語としてわかりやすいものに目がいってしまいますが、
「初七日」はテーマも雰囲気もすごく好きです。
この本自体、文章だけ連ねれば終わりじゃなくて、体裁から
自らコントロールしたいという意欲に溢れてます。
また細部まで読み返したくなりそう。


滴り落ちる時計たちの波紋 (文春文庫)

ラベル:平野 啓一郎
posted by クロルデン at 07:16 | TrackBack(0) | 平野啓一郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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